2011年4月号
ウエルビーコラム 2011年4月号
被災者を支える専門家の力
自治体は緊急・柔軟な対応を行う英断を
「言葉を失う」
このような陳腐な表現しか思い浮かびません。
地震・津波そして原発事故で 家・家族・仲間・地域・仕事すべて失ってしまったたくさんの人がいます。
そして 出口の見えない格闘が日常的に続いています。
しかし そんな中 医療・介護・福祉のプロたちが 被災地で献身的な支援をはじめています。
以下は 松戸市で通所介護事業所「ひぐらしのいえ」を運営している安西順子さんが「全国訪問ボランティアナースの会キャンナス」の一員として避難所(気仙沼市の総合体育館ケーウエーブ)で行っているボランティア活動レポートの一部です。
今日は先生方からの提案で 医療職全員で朝のミーティングが行なわれた。
情報の共有は日常の中では 当然のように行われていることが 災害時の現場では たとえ医療であっても それがままならないことが多く 被災した日から1週間がたち トリアージが必要な患者さんは徐々に減ってくると同時に現場が混沌としてくる様子がうかがわれた。
多くの医療チームが慢性的訴えに対して それぞれに動き それぞれに対応すると 患者さんも自分たちも混乱してくるのである。
それが1週間経過して 現場が落ち着き出してくると やっとそのような問題が見えてくるようになりお互いが意識的に情報の共有をしようと思うのである。
今朝の中心は○大学病院のERの○○先生。 自己紹介をしながら今日の役割分担をテキパキと指示するのだが 何とも言い難い医師独特の威圧感!
お陰で今日の業務?はとても効率よく回ったと思う。
これから1週間 2カ月経つと支援の輪も小さくなり 地元の方々の本当の苦難の時がやってくる。 その時こそ 本当に支援が必要な時がくるだろうと プライマリーケアの先生方と話し合い 合意に至った(3月22日)。
ある看護師は 夫とその両親と自分たちの家とすべてのものを一気に無くしても なお気丈にデイサービスに寝泊りして ケアに当たっていると言います。
自分のことだけでも大変なのに 本当に胸がつまる思いです。
気仙沼で鹿児島から応援に駆け付け泊りこんでくださっている○○先生からお聞きしたお話しです。
被災当日のこと ある救急隊員が おさない子供の人命救助をしていました。 数分間蘇生して「ごめん!助けてあげられなくて・・・」といってその場を去り 次の救助へと向かいました。
その子供は 救助隊員の子供だったそうです・・・
このようなエピソードが星の数ほど出てくるでしょう(3月24日)。
緊迫感とともに専門家ならではの着眼・対応そして予見する力が伝わってきます 。
長期化する支援を効果的なものにするためには 医療・介護・福祉のプロが継続的に関われる環境を整備すことが必要です 。
善意だけでは ニーズは満たせません。
意欲のある専門家たちが 心置きなく現地で働けるように 緊急的に看護や介護事業所が柔軟に開設できるよう行政 とりわけ地方自治体による協力と決断を願う次第です。